大きな変化には大きな代償がある
言いたいことはタイトルのとおり、なんだけど、Twitterでもいいやって感じあったんだけど、どうせだしブログに書いておく。
簡単にはっきりと言うと、自分のいるコミュニティを大きく変えるのは正直難しいと思うし、そういう大きなコミュニティで大きな変化をするのはとてもウォーターフォールぽいし、失敗だったときに元に戻せないというのは大変イヤですね。
もし、同じコミュニティに大きな変化を期待するような人(良く言えば若い人)が現れたら僕は全力でどうにかすると思う。
実のところ、そのコミュニティ内にすら細かなソサエティがあって、その中で大きな判断や変化をするのはとてもいいと思う。だが、その判断や変化で伴った成果が必ずしも上層の全体のコミュニティで成功するとも考えられないし、やっぱり落ち着いたほうがよさそう。
なにも、「うっせえ黙ってろ」ってのが言いたいわけではなく、小さく変化を許容しそれが自分の所属する小さなコミュニティで成功すれば喜べばいいし、成功したことはどんどん報告すればいいし、その小さな成功の幾つかをコミュニティに還元できればいいと思うんですけど、どうですかね?
全体のコミュニティで大きなことをするの、とてもウォーターフォールな感じがして厭なんだけど、もっと細切れに各地で変化を許容出来て、短いスパンでKPTを実施できるような、あじぇーるみたいな感じになればいいのになっておもった。
— あそなすさん (@asonas) 9月 13, 2012