ソフトウェアに対しての敬意
ソフトウェアに対しての敬意を欠如しているのではないかという場面を多々見ることがあって、そのたびに怒りに近い、けど諦めや落胆のようなのグニャっとしたものがドッと押し寄せてもやもやした気分になり、ヤァヤァ我は斯く斯く然々と躍り出て叱るべきなのかどうなのか、という状態に陥る。
そもそものところ、敬意のない言動をしている人を外から見たときの畏怖はコンビニにたむろするヤンキーに似たミームを感じてしまい、一言申せばえもいわれぬ罵詈雑言が飛び火してきそうだ、と思ってしまい、今まで目をそらし聞き流して我関せず、と一貫してきた。
自分が得る情報は自分で制御しなければならない、という信念と、自分がソフトウェアの開発を生業にしているからこそのソフトウェアへの感謝やそれこそ敬意からくるソフトウェアを守らなければ、という正義感から反撃・反論したくなる。けど、ソフトウェアへの敬意が欠如している人に対して、お前はソフトウェアに対して敬意がない、もっと自分で問題の定義と解決する力を身に着けるべきだ、と言ってもその人の態度が変わるとは思ってはいなくて、ただ単に憤りたいのかもしれない。そこに水を指してもお互いにモヤモヤするだけだろう。つまり当人がそれを他人が見える場所でやっていても受け取る側がどう感じるかの話であり、これは僕の問題でもある。
ソフトウェアに問題があって憤っているのであれば即座にパッチを書けばよいことだけど、そうする様子もなく原因を探る様子もないのであれば自分の能力不足が原因で憤っている場合もあるのだけども結局どの場合においてもソフトウェアへの敬意の欠如がもたらす人への不信感は絶大で、相手にしたくない、という結論になる。だから、相手がどう思っているのかも、憤ってる理由も悪態をつく理由も知りたくもなく徒然と日常を過ごす。
ソフトウェアの開発を生業にしているからこそ僕はソフトウェアにたいして敬意を持っていたいし、ソフトウェアに問題があれば自力で解決できるようにすべきだと思うし、いつまでもそうありたい。そしてソフトウェアに悪態をつくなとは思わないけど、悪態をつくだけの人にはなりたくないな。そこで成長が止まってしまいそうだ。