良いあそなすちゃん

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Webに人はいない

という小論(本当は論文ぐらいになる予定だった)を大学生時代に書いた、生涯大学生活で一本だけの小論である。タイトルからしてこじらせている感じなんだけども、当時2009年とか2010年とかのWebってmixiとかFacebookとかtwitterとかがやっと巷でも盛り上がって来ている感じがしていて、周りの人とかは「Webで人との距離が近くなった」みたいなことを言うのがとてもとてもとても気に入らなくて、その気持ちを大事にこじらせて書いた小論が「Webに人はいない」というもの。

端的にいうと、Twitterのアカウントを持ちだして、それがあなた自身の証明になるか?みたいなことを書いている。アイデンティティの証明ってのはだいぶ難しいけど、単純にデジタルで無機質なテキストや音声、映像のやりとりをしてるだけじゃん、んで、それらを発信しているだけのTwitterアカウントとかちょっと頭のいいbotとなんらかわらないんだぜ?みたいなことも書いていた。
またWebのペルソナとリアルの属人性とかについても記述していて、asonasが僕と紐付いているのもたまたま僕がasonasと名乗っているからだけで、asonasが僕との関連性を拒絶すれば僕はasonasじゃなくなるし、つまるところWebに存在するペルソナとリアルにいる僕との間にはとても薄くて壊れやすいガラスの棒でしか繋がっていないんじゃ?みたいな。
結局Webに存在するペルソナがどうしてリアルに紐付かないかは、テキストという貧弱な媒体を使っている限りは一生歩みよめなさそうという感じ。とてもアナログだけど自分の存在を示せるのはやっぱり『会話』で身振り手振りや声の抑揚などそういうものがコミュニケーションのツールとして1番相手の頭の中に僕という存在の印象を残せることができる、みたいな。んじゃ、喋ってる内容を映像にすればよかったりするわけだけど、僕がWebに人を感じる瞬間というのを定義したいのは映像とか音声とかっていう一方通行のメディアではなくて、、、、ここから先は僕らが見ている世界(匂いや温度、ノイズ、光とか)とWebを超えて画面の向こう側の世界を感じられないからみたいなことを書いてた。

あとはダラダラと貧弱なテキストベースのコミュニケーションをDisり、結論としては、コミュニケーションの媒体が悪いので、今現存するインタラクティブアートなどの例を用いながら、それらをもっと改善していく必要がある。という内容。

あー、はずかし。小論のデータ自体は消えてしまったけど、とある大学のゼミにはまだあるかもなので気になる人は適当に探してみてください。
だいぶこじらせていたけど、今ではWebに人がいるという感覚は自分でつくりだせるようになったので成長したのかなと思う。