良いあそなすちゃん

良い方のあそなすちゃんです!

レガシーの海にたゆたふ

一種の快感が作用するらしく、レガシーを紐解けば紐解くほど「ははは、こやつめ」という感情を抱くようになってきていて、ソースコードの奥深くまで潜り込んで調査とかしてたりする。

ははは、こやつめと思うところが1回だけならいいんだけど、同じような文脈が2回、3回と出てくると、さすがに「いや、これはなにか新しい仕組みを入れないとダメだ」という気持ちになる。

DBに新しいレコードを格納するとか、バージョン依存の関係でのバグとか、そういう結構根が深い問題を解決する仕組みをつくろうってなったときに、それが半年後にレガシーになってしまわないか?という疑問を自分に問いかける。

「正しくエンジニアリングをする」という名分は聞こえはいいが、Webアプリケーションは生き物であって、今の生体状態に「正しくエンジニアリングする」というのは結構できると思う。んじゃ、それを1年後、2年後も正しくできているか?というのは評価しづらい。1年後も2年後も同じ生体状態であることを保証できないし、おそらく確実に何らかの成長を遂げるヤツに対して、その場しのぎのワークアラウンドなパッチを書けばいい、とか、自分でライブラリを書いてOSSで公開すれば、など。そういうエンジニアリングが正しい場合もあるけど、そうじゃない場合もある。

今を信じる自分を信じたいという気持ちがある。
その時の自分は今を信じて書いた10のコードと、昔は信じられていた12のレガシーを取り除く、みたいなのをしていかないといけない。そうじゃないと新しくコードが増えるのに、レガシーが減らすようにしなければ、自分の書いたコードも何れレガシーと呼ばれるようになってしまい結果的にレガシーが増えてしまう("レガシー"をなんと定義するかにもよるが)

そんな感じ。

最近はコード上の知識がどんどん高まっていき、Aの場合にはBとCに作用して、CのココとDが連動してEが生成される、みたいな知識が溜まっていく。ただ、それが実際にどういうフローを踏んで人間が扱っているのかが未だ微妙に不透明なところがあって、本当の意味でのドメイン知識が足りていない。
コードを追うだけでは理解ができない範囲まで迫ってきていて、いよいよをもって僕1人だけでは限界が近いという感じ。



そうそう、名刺に少し茶目っ気をだして役職を適当にしたら、本当にその役職で名刺ができてしまって、少し恥ずかしい割にその役職通りのことが今できていると感じていて、すげー、楽しい。
レガシーにたゆたうことが、ではなく、Webアプリケーションを開発することが楽しいんだ。