良いあそなすちゃん

良い方のあそなすちゃんです!

自分が導入した道具に文句を言われた場合の心の整理の仕方と考察

結論からいうと、「文句いうな、黙ってコード書け」だなという点に、3000文字ぐらい文章を書いて消して、落ち着いた。

 

経緯、いろいろあるけど、要するに自分が導入した道具がある程度の秩序をもたらしていて、それによって助かっていた面もあったが、時代の流れによって次第にそれが廃れてくるのも当然であって、その際に文句が出たものだとする。

最初に導入したわけだからいろいろ勘所もわかるから、文句に対しての反証もできたりするし、もし仮に新しい道具にするときにいろいろ相談できるなとも思う。

次に思うことは、組織の中で道具に文句をいうことを根付かせないというのが重要だなと思った。これに関しては一度なにかしらで周知する必要があると思う。でないと伝わらないまま、悪意はなくとも、誰かを傷つけることになる。まぁ現に僕は傷ついていて、当時1人で右も左もわからない中で本を読み、勉強会にいき、友人に教えをこうなどして得られた秩序なので、文句を言われる事自体がその努力を無碍にされた気分になっている。

まぁ、そういう個人的な感情はここに書いてもう終えておく。重要なのは、キモい言うなというのをどうやって根付かせるのかか、という点になる。なんとなく多様性をしらないのではないかという仮説もあるので世の中にはこういう文化もあるんだ、というのを知らしていく必要があるのかもしれない。

また、文句が定常化すると、新しい道具を入れようとしても「文句を言われるかも」と萎縮する可能性もあるので、先述の問題は人が少ない今のうちに解決しておく必要がある。

逆に例えば文句が出つつも(文句を言わないで黙ってやるのが最高にクールだと思うけど)現状の価値以上の変更が出てくれば僕としては嬉しい。

 落ち着いて見れば、発端としては些細な文句ではあるんだけどやはり使われている道具に対して文句だけ言って良化する変更や新たな価値が生み出されない点に嘆いてるのかもだなー。そういうのが全体で蔓延するのはよくない。

 

運転免許の試験で「かもしれない」というのを常に考えることと言われたのを思い出している。曲がり角で人が飛び出してくるかもしれないとかそういうの。コミュニティや組織の中でも「かもしれない」で予想することはあるけど、それらはあんまり本質的ではなくて、如何に未然に事故を防ぐかという点については同じだけど「かもしれない」と自分だけで考えるのではなく、他の人たちと会話をすることで回避していきたい。思い込みはダメ、ちゃんとインタビューしなきゃなってなる(そういえば最近プロダクト方面の人になりました。)